なぜチャットGPTが必要なのかがわかりません

なぜチャットGPTが必要なのかがわかりません

少し前からやたらチャットGPTがニュースになり、
企業や学校では運用の仕方を整備しないといけないそうです。

今さら基本的なことなのですが、これって必要なものなんですかね?

学校ではレポートを自分で作成せずに
チャットGPTを使ってしまう(これはカンニングではないか)ので、
参考として使用しましょう的な議論がされているようですが
ラクしたい子は使いますよ。

企業などでもパンフレット作成などにおいて
チャットGPTをうまく活用するやり方を模索していくようですが、
使っても面白味のないものにしか出来上がりませんよ。

そもそも人間の業務負荷分を機械にがんばってもらいましょうという発想ですが、
それなら本当に不必要な業務を削減する努力をしたらいかがでしょうかね?
こんな運用の仕方を考えなくてはいけない、議論しなくてはいけないなんて、
それこそ余計な仕事だと思うんですが。
思い切ってウチでは使いませんって言ったほうがラクなのでは?

文章書くのって確かに大変かもしれませんし、
書くのが好きじゃない人にしてみれば、苦痛極まりないものかもしれませんが、
わたしなどは書くのが仕事、文字を扱うのが仕事ですから、
伝えたいことを書くのは当たり前ですし、
いかに文章の中に自分を表現できるかということを考えるのですね。
自分で生み出したこうした文章は、
あとから見ても自分の仕事だとハッキリわかりますから。

noteというモノ書きさんの集まるサイトでも
古文書に関することを書いているので、
そこでほかの方の文章を読むと、みなさんそれぞれに個性があるんです。

好んで使う言葉の目立つ方、古風な言葉を多用する方、
行間の少ない方、自虐的な表現の好きな方、「ですます」調か「である」調かなど、
それはそれは十人十色です。

ですから、チャットGPTのような無味無臭の文章が
どうしてこんなにもてはやされるのかがわからないのですよ。

以前、古文書講座の生徒さんともこれと同じ話になりましたが、
教育関係のお仕事をされているその方は、
チャットGPTを使った人の文章は見分けられると言っておりました。

つまり、ズルしたい人・ラクしたい人を防ぐことはできないので、
それを見る側・チェックする側の力量にかかるのではないか
という気がするのです。

たとえ子どものうちから自分で考えずに、
チャットGPTを頼りに(カンニング)してばかりいて
もしそのまま大人になってしまっても、
将来自分で考えられない・文章が書けない・分析できない・判断できない・・・
なんてことになって困るのは自分ですから、
それは自分のせいだよね、ということではないでしょうか。

個人的にはチャットGPTなんて不要な代物と思っていますし
これは人間が自分でモノを考えられなくなる手助けをするブツですから、
あんまりメディアで取り上げない方がいいと思うんですよ。
っていうより、考えられない人間を増産したいという戦略?

人間はおバカになっちゃいけないのです。
だからこういうものを拡散してはいけないのです。

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